モノクロームで撮り続けた日常のミャンマー

モノクロームで撮り続けた日常のミャンマー

写真家 亀山 仁
一般社団法人ミャンマー祭り理事/推進委員
日本写真協会(PSJ)会員

2005年12月、ある写真家主催の「ミャンマー撮影ツアー」に参加したのがミャンマーとの出会いだった。そのツアーを現地でコーディネートしていたのがシャン州インレー湖でホテルなどを経営している女性で私にとって最初のミャンマーの友人となった。彼女のホテルの居心地の良さから、私はインレー湖で暮らす穏やかな人たちの魅力や美しい風景を撮影するため度々訪れるようになった。

ミャンマーの季節は10月後半から2月が乾季、3月から雨季の始まるまでが暑季そして6月くらいから10月が雨季になる。乾季は観光シーズンになるが私は雨季に行くことが多い。ヤンゴンは一日中雨の日があるがインレー湖は1日に数回スコールがあるくらいが多く、写真を撮るには天候が変わるほうが息をのむような美しい瞬間に出会える。
この日、インレー湖は前日の夕方から激しい雨が降り続いていた。午後3時過ぎにやっと雨が上がり、友人に誘われ町まで買い物に行った帰りのボートから西に傾く陽射しとカモメの群れに遭遇した。

西に傾く陽射しとカモメの群れ

また、雨季の7月から10月の満月までは雨安居の期間となりミャンマーに暮らす人たちの約9割が仏教徒と言われ生活と仏教が密接に結びついている。
雨安居は悟りを開いた釈迦が弟子に教えを説いた時期とされ、僧侶たちは遊行に出ることをせず僧院で修行に励む。

ミャンマーでは結婚式や引越し、会社設立など慶事に僧侶を招き寄進をする習慣がある。しかしこの時期は僧侶が修行にこもるため慶事を控え、ミャンマーの仏教徒の人たちは普段以上に僧院へ通い徳を積む日々を過ごす。
数年前、雨季真っ只中の8月、定宿しているインレー湖畔のホテル裏手の村を歩いているとお経が聞こえてきた。声のする僧院を見ると青年が蛍光灯の明かりで仏像に向かい経典を読み上げていた。
ミャンマーのお経は独特のイントネーションとリズムで聞いていると心地よく気持ちが安らぐので邪魔をしないよう彼の背後に腰をおろした。

30分くらい過ぎたころ外は激しい雷雨になったが彼は動じず淡々と読み上げていた。しかし閃光と同時に雷鳴、彼の手元を照らしていた蛍光灯が消えた。
そして彼はこちらを振り返り、「仕方無い」というような表情をした。話を聞くと、雨安居中の経典読みは他の時期に比べ数倍の徳を積めるそうで、この辺りだと湖上の有名なお寺で読むのが一番の名誉だと言う。しかしそこで読むには予選会を勝ち上がる必要があり、彼はそれを目指して毎日仕事帰りに練習をしているそうだ。

雷雨の夜の寺院で朗々と読経、徳を積む

その後、彼が勝ち上がれたか分からないが、こうした努力と積み重ねは結果に関わらず大切なのだと思う。
この写真を撮った頃は軍事政権から民主化へと舵を切り、日本など海外からの投資で経済発展が続き人々の暮らしが良くなっていくのだろうと思っていた。

私が最後にミャンマーを訪れた2020年3月頃から世界中がコロナ禍に飲み込まれていった。さらにミャンマーでは2021年2月1日、軍はアウンサンスーチー国家顧問や大統領を不当に拘束、クーデターを起こし平和な日常を奪った。そんな2021年12月、インレー湖の友人から訃報が届いた。2007年に知り合い、交流を続けていたい仏像職人ファミリーの主が65歳でコロナ感染のため亡くなった。

知り合った仏像職人さん、聖なる仕事の合間に

彼は数年前軽い脳梗塞を患い、リハビリを続け自力で移動できるまで回復し元気になっていた。2019年8月に会ったのが最後になってしまった。元々充分な医療環境と言えないミャンマーだがクーデターが無ければ、少しは治療を受け助かったかもしれないと思うと憤りを覚える。

現在、ミャンマーの人たちは厳しい日常を強いられ、日々の祈りに平和と救いを求めている。

<プロフィール>

1966年東京生まれ、神奈川県在住
2005年よりミャンマーを訪れ現地の人たちやその暮らし、風土を撮影。最近は日本とミャンマーの関係をテーマに作品作りを続けている。主に国内で本来の穏やかな「ミャンマーの日常」を伝える写真展を開催。冬青社よりミャンマーの写真集「Thanaka」,「Myanmar 2005-2017」を出版。
2021年2月、ミャンマー軍によるクーデター発生以降はミャンマーの人たちの望む社会の実現に向けて仲間と共に応援を続けている。
HP:https://hitoshi-kameyama.com/web/

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