代表挨拶
一般社団法人日本ミヤンマー友好協会は、1970年大阪万博のビルマ館設置を契機に、ビルマ戦線から帰国された方々が中心となって1972年正式に設立された団体で、ミヤンマー関係の友好団体としては、最も由緒正しい団体です。ミヤンマーは、2011年、民主化への移行が実現し、欧米の制裁解除を契機に、アジアの残された最後のフロンテイアとして、海外の注目を浴びてきました。
2015年には、アウンサンスーチー氏が率いるはじめての民主政権が誕生しました。日本も官民挙げて、ミヤンマーの経済開発、民主化の推進に大きな役割を果たしてきました。ミヤンマーにとって、日本は最大のODA供与国であり、経済交流の象徴は、ティラワ経済特区の建設であり、2015年開業以来、内外の多数の企業が立地しています。トヨタ、スズキも進出しました。また、ヤンゴンの日本人商工会議所会員数は、400社をこえ、将来の発展に期待を寄せてきました。
しかしながら、2020年の世界的なコロナ感染症の爆発的な流行と、続く2021年の軍事政権の成立によって、ミャンマーの政治、経済、社会状況に大きな混乱が生じ、今日に至っても平和への展望が見通せない状況が続いています。
日本とミヤンマーとの関係は、経済だけでなく、歴史、宗教、文化、生活、人的交流と重層的、多面的で、アジアの他の国と比べても、ミャンマーに特別に心を寄せる日本人が多数おられます。「血の絆」というミャンマーで出版された本は、日本とミャンマーとの間で結ばれた姉と弟の物語ですが、多くの人々に感銘を与えています。
当協会は、ミヤンマーと日本の架け橋として、いかなる状況にあっても、両国の人々の固い結びつきを維持し、また、ミャンマーの発展に貢献したいと考えています。そのために、「日本ミャンマー交流基金」を設置して、「文化交流」「人材交流」「経済交流」を特に強化していく考えです。
残念ながら、現状では、ミャンマーと日本の間では、人々の往来は限られたものになっています。しかしながら、最近ではミャンマーの将来に希望を失い、日本で自らの将来の展望を開きたいと希望する青年が非常に多くなり、日本語を学習して来日する若い人達が目に見えて日本中に増加しています。
当協会は、1日も早く、正常なミヤンマーが戻ってくることを祈念しつつ、増大する来日ミャンマー青年が、日本社会にうまく適応し、快適な生活を楽しみ、人生に希望を持てるように、支援していきたいと願っています。
当協会の活動に関し、多くの方々のご支援を賜りたく、お願い申し上げます。
代表 藤村建夫