ミャンマー国有鉄道OB会に参加して

髙松重信
当協会副会長

私とミャンマー連邦共和国との親交は今年で41年になります。考えてみれば、人生の半生期間にも及ぶことになり、誠に不思議なご縁で結ばれているように思います。この様な中で今回、ミャンマー国鉄(MR)OB会の教え子である幹事殿から同国鉄OB会への御招待を受け楽しみにしていました。

今回のMR・OB会への招待は1982年来からのMRに対する貢献と、MR総裁のたっての要請により2003年ボランティア活動で鉄道学校を開設し、お教えした生徒諸君及びその後の教え子達による強いOB会への参加要請などからOB会の役員が判断され、その結果の招待でありました、外国人である私への招待は異例中の異例ということになった次第です。

2023年3月11日朝7:20ころ、元MR副総裁の方がトヨタの自家用車を運転しホテルへ迎えにきて頂きました。早速二人でヤンゴン市にある会場のMorning Star Caféレストランに到着すると懐かしい多くの面々が居られるではないか。最近お会いした方から数十年前にお会いした方々まで誠に懐かしい顔に接しました。

交流の皆様

ミャンマー国鉄の歴史は古く創立は1877年(明治10年)であり、今年で146年になります。現在では営業距離は約6000キロを有しており、日本製の機関車と気動車も稼働しています。特にその気動車は全国で運行されミャンマーの人々の足として大変に重宝されています。

MRの車両は機関車(DELとDHL)、気動車、客車と貨車であり、4つのメンテナンス工場と多くの区所で検修が行われており、戦時中、日本国鉄の職員もおられました。この他、機関車(主にDEL)製造工場と客車・貨車製造工場も持っています。この製造工場新設のさい、嘗て鉄道運輸大臣からレビューを頼まれ、私見を提案させて頂いたこともありました。

現在MRはミャンマーの運輸通信省(MOTC)の一つの重要な機関として存在していますから、このOB会【Myanmar Railway Gathering】には、退職された大臣、副大臣及び省の局長及びMR(国鉄)の総裁、局長からフォーマンまで多彩な方々が参加されますが、時には現役の方も参加されています。

自動車から降りて早速会場に入ると、昔の面影を抱いた友人や教え子方々がいっぱいおられ、懐かしさで胸が熱くなりました。相手の方も私と気付き多くの人が私の周りに来て下され、口々に元気ですかと声をかけて頂いた。

それら何れの人達ともMRの再生と発展に共に苦労したので、昔のことが頭をよぎりました。面影や話しぶりは昔と変わっていなかったが、頭髪が白く、些か少なくなっている諸兄姉が殆どであった。

幹事により不肖私が約90名全員に紹介され、一応挨拶をさせて頂いたあと正面の席を用意され、会が始まりました。
最近の事情によりアルコール類は控えているとのことで、コーヒーなどの飲み物とミャンマーの国民食「モヒンガー」と「チャパティ」でありました。

モヒンガー
チャパティ

ミャンマーの人達はモヒンガーを毎日朝食としてよく食べます。魚から取ったスープに米で作った麺と一緒に食べるものです。魚に玉ねぎ・ニンニク・生姜・バナナ茎、チリパウダー、ターメリック、水、塩の味付けを加え、モヒンガー(Mohinga) チャパティ(Chapati)煮込んで作られる美味しい食べ物です。

宴席もたけなわになってきました。MRは階級制が厳しいから上司は絶対的ですが、このOB会は無礼講で元副大臣、局長(女性含む)から職長まで同士の如く、ワイワイがやがやになって大いに賑わいました。

私の周りにも輪ができました。その後、あちらこちらに出来ている輪へ梯子を致しました。何処の国も同じく、鉄道員はやはり、鉄道の話に花が咲きます。

左から順にMR元局長、その妻(元大学教授)、運輸通信省の元顧問(女性)、髙松(筆者)、MR元局長

「あの酒の強い日本人は今どうしているか」「あの優しく親切な日本人は元気か」「日本で学んだことが大変に役にたった」
「昔、日本での研修時に給与されたお金を始末し貯金したいために、インスタント・ラーメンを毎日食べたと言う局長」
「ミャンマーは厳しい状況であるが、日本は今後も支援してくれるのか。隣の大国には世話になりたくない」

また、多くの教え子からも感謝を述べられたのは大変に嬉しく思いました。冗談も飛び交い、荒くれ者のフォーマンのボス的な教え子は今も健在で、元局長を尻目に、私に困ったおりは俺に話してくれと言ったので、お前は奥さんに頭があがらないと言っていたが、今はどうだというと!教え子達は、無理、無理!!と言って本人も元局長も皆で大笑いになりました。

お互い元鉄道員同士でありますから、国籍を離れ、肝胆相照らす話合いとなりました。朝8:00より開始され、約2時間の誠に楽しい一時を過ごさせて頂きました。

左から髙松(筆者)、日本で研修を受けた元MR計画長(女性)、 元土木局長

ミャンマー国鉄は一昨年の政変で内部的にも意見相違などがあって混乱を来したが、ようやく立ち直り再建の緒に就いている。振り返ってみれば、英国の植民地時代に創立されたが、その政策に翻弄されながら、独立の息吹を背負い、戦時中を乗り切り、1948年1月4日の独立以来の政変・紛争などの風雪にも耐え凌ぎ今日に至っています。

翻ってみれば、我々旧日本国有鉄道も同じように団結力の強い集団でもありました。【轟け鉄輪、我が此の精神、輝く使命は儼たり、響けり・・・。】私は何故か、作詞:北原白秋、作曲:山田耕筰であるこの「鉄道精神の歌」が頭をよぎりました。

詳細は省略しますが、只今現在に於いても、、ミャンマー連邦共和国の大動脈である鉄道の整備・拡充・近代化にJNR、JRのOB方々などと日本の方々が、ミャンマーの人々のために炎天下を問わず日夜、ミャンマーの人々と共に建設に励んでおられることを付記致します。

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