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ロヒンジャー問題についての私見

合同会社TCMミャンマー 代表パートナー
中小企業診断士  都築 治(Aung Moe)

 本年の8月以降、ロヒンジャー問題がメディアを大いに賑わしています。これに対してミャンマー政府は、ロヒンジャーなどと言う民族は存在しなく、バングラデシュからの不法移民のベンガリだと説明しています。
バマー族がミャンマーの地に定着し始めたのは9世紀ごろからと言われています。これに対して、ロヒンジャー族は8世紀、9世紀からミャンマーに定着した先住民族の一つだとして主張していますが、これにはいかなる資料もミャンマー側では見つかりません。
大航海時代に先駆け、ムスリム商人らがベンガルに定着しました。が、次第にポルトガル人などとの競合に敗れ、地方の片隅で暮らすしかなかったと考えられます。15世紀から18世紀にラカイン州で栄えたミャウッウー王朝に、傭兵や従者として仕えた者たちもいました。1784年同王朝滅亡後、彼らはベンガルの地に戻ることを余儀なくされました。彼らムスリム商人の末裔が、いわゆるロヒンジャー族の一部だと私は考えます。ロヒンジャーは一般のベンガル人とは容貌が違い、生活慣習も違っていると言われています。したがって、バングラデシュ国からも自国民とみなされていません。
ポルトガル、スペインなどはイギリスとの競争に敗れ、現在のパキスタン、インド、スリランカ、バングラデシュ、マレーシアなどはイギリス領となりました。19世紀には、ミャンマーはインドの一州として隷属させられました。この時期、インド人、中国人らをイギリスは領土開拓のために大量にミャンマーに移住させました。ロヒンジャーと言われている人たちも同様です。ミャンマーは、イギリスに抗うことはできないようにさせられ、バマー族の上の地位にいたのがインド人、中国人、カイン族、カチン族などやロヒンジャーです。ほとんどのバマー族は、最下層の小作人の地位に追いやられました。
20世紀に入り、ミャンマーはイギリスからの独立の機運が急速に高まりました。独立の英雄と言われているアウンサンらは、日本軍と協力してイギリス勢力を駆逐しました。この時、カレン族、カチン族、チン族などと一緒に、イギリス側の兵としてロヒンジャーは参戦しました。ミャンマーは独立後、これらの民族らとの反目がさらに高まることになります。
大戦後東パキスタンとして独立した東ベンガルは、ほどなくしてバングラデシュとして分離することとなりました。この時の混乱に乗じて、ベンガルからミャンマーへの大量の移住がありました。また、頻繁に襲うサイクロンや洪水から逃れるため、ラカインへ不法移住した者も多数います。これらのため、ミャンマー政府は彼らをベンガルからの不法移民とみなし、ミャンマーに数多ある民族の一つとして数えていません。
幾世代も前からミャンマーに住んでいる家系の人々には、インド系、中国系、グルカ系などを問わず、ミャンマー政府は国籍を与えています。また、インド系の半数以上はムスリムで旧ベンガル州の出身ですが、彼らですらもロヒンジャーとは一線を画しています。バングラデシュとの国境に近い地方では、ラカイン族の方がむしろ少数派で、不法移住したロヒンジャーの方が多数派になっています。イスラム教の少数民族ロヒンジャーと言う表現は全く正しくありません。
現在のロヒンジャー問題の遠因は、イギリス統治時代の異民族の大量移住政策と名高い分割統治にあり、一層複雑な様相を呈しています。イギリスは自国の所為だと認めると、大英帝国時代の負の遺産が次々と世界各国で問題視されることとなり、人道的側面を強調して、ミャンマー国軍にその責任を押し付けています。
2017.11.7 記

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